| 選 手 歴 & コメント |
| 香澄FC(小学生) |
ジャイアン的存在で、サッカーもうまく、たとえ自分がミスしたとしても、他の人に責任をなすりつけるほどの「強さ」があったんです。この頃が一番プロ向きな性格だったかも(笑) |
| 習志野第4中学校 |
県選抜にも選ばれて、3年のときには複数の高校から誘いを受けました。ちょうどこの頃、Jリーグが開幕し、フィーバー中でした。チケットが手に入らず、高校の先生に連れて行ってもらったこともありました。このときプロ選手になりたいと決意。進路は布先生がいた、市立船橋に決めた。 |
| 市立船橋高校 |
とにかく走って、走って、また走る。苦しい部だったけれど、頑張った分、結果が出ていたので、納得してました。布先生に教えられたことはすっごく大きいんです。選手権優勝も経験したし、何と言っても選手権通算得点歴代記録は僕のサッカー人生で唯一誇れる記録!(2003年に平山相太選手に抜かれちゃったけど…)高校卒業時にはかなり数多くのJクラブから誘いがあった。いろいろ考えて、地元でもある柏レイソルに行こうと決意しました。 |
| 柏レイソル |
最初の2年はあんまり試合に出られなかった。3年目の途中から出場チャンスが増えたのと同時に、五輪代表候補に選ばれて、翌年にはフル代表入りも果たしました。2001年、エスパルスの元監督でもある、ぺリマン監督が就任したとき、これからの時代はポストプレーだけじゃダメだって思って、今までなかった守備意識を持つようになる。 |
| 清水エスパルス |
2003年にレンタル移籍。僕にとって大きな転機となりました。出場チャンスを求めて移籍した僕に、エスパルスサポーターはすっごく温かく、もう一度応援してくれる人のために戦いたいって思わせてくれた。そのシーズンの終わりに、完全移籍を決める。 2004年末に脱臼癖を治す手術をし、2005シーズンは心配事が消えた状態でシーズンインしたものの、4月に右膝負傷3ヶ月以上の長期離脱を余儀なくされる。その後も再び負傷。ケガ泣かされ続けたシーズンだった。 |
| 柏レイソル |
2006シーズン。完全移籍したにもかかわらず、戻ってくるようラブコールを送ってくれたレイソルに復帰。今もう一度黄色いユニフォームを身にまといプレーできる喜びを噛みしめている。J1復帰を目指すべく日々戦っている。 |